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Ats the way

「NGO千の雫プロジェクト」「大阪手作り酵素の会」「大阪源流『水の杜』」

「静けさ」の感覚

2012/04/14 17:28 ジャンル: Category:想うこと
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Sakura.jpg*画像
キレイですね~


ちょっと更新が空いてしまいました。。
数日前から、「鬼のかく乱」中です。何十年ぶりかです。

その前もちょっと体調崩しながら、
それでも東京行ったり、色々予定こなしたり
相変わらずた~ぼうなんだけど、、、

なんとなーく、
自分の肉体もこころも、だんだん敏感になってきているのを
最近感じてます。

風邪もひかないほどケンコー!とか言ってたけど、
それはただ、鈍感だっただけなんと違うかしら、、と思ったり。

色々手作りするようになって、
ある日、とても微細な味の違いがわかるようになってる自分に気づいたり、
個の意識を超えて、勝手に即情報伝達してしまう、菌さまたちの存在を
意識的に受け入れるようになってから、、、

身近なあらゆるものの、小さな変化に、敏感に気づくようになっている。

たった2週間前に見つけた、群生するフレッシュなはこべちゃんたちは、
今はもうすでに、「種」をたくさん付けているのです。

ヨモギの新芽は、2週間前よりも、少し固くなってて、
ポキっと折るときの、「音」が違うし。

ギシギシは、いっぱい実をつけていたり。

最近は、今日もふらふらと行っていたんだけど、
お天気が良ければ堤防に行って、野草さんたちを摘んだり、
「アレはなに?」「これは何?」「何がどうなってんの??」と、
たぶん、小声で独り言も言ってたりするんだと思うけど(コワ・・)

摘んだ野草を持ち帰って、草塩にしたり、天ぷらにしたり、
今日は、黒砂糖で酵素に仕込んでみたりした。

昨日は、たーーんまり出来た、ヨモギのもぐさを
お茶袋に入れて、ヨモギ風呂にしてみたり。

そうやって、無意識にいろんな情報を得ている。
今までもずっと、堤防のそばで暮していながら、
まーーーーったく、知らなかった、未知の世界。

新しい世界が、急激に拡がっていて、
目も離せないほど、夢中になっている、変な自分。

ひとり、ブツブツつぶやきながら、そんなことばっかりしてると、
ふと、我に返ったとき、
どういうわけだか、とても満たされた気分でいることに気づくんです。


私はきっと、実験とか発見とかしていることで、
「モノ言わぬ自然さんたち」と、対話をしているんだろうな、と、
ふと、そんな気持ちにまります。


あらゆる、「自然の存在」は、
毎年旬の季節になると、その姿を顕し、
言葉を持たず、自己主張もせず、、ただ、そこに居て、
力強く育ち、可憐に咲き、種の存続の役目を果たし、、
ニンゲンに、気づかれても気づかれなくても、
ただ、それを毎年毎年、季節ごとに繰り返している。。

あまりにも当たり前に繰り返されていて
あまりにも無頓着に無防備に、
ただただ、その生命行為をまっとうするものだから
怠け者のニンゲンは、時にそれらをやっかいものにするけれど、

ニンゲンがこの世界に産まれ出る、
それよりも、もっともっと古くから、何十億年と、
その、いのちの鎖を、繋いできた存在だから、
ちょっとやそっとのことでは、へこたれることはない。

ニンゲンごときの浅知恵に、振り回されるわけもなく。

ただ、空や風の動きや土の温度で「時」を感じ、
また、新たな「生命行為」を始め、そして、終わるだけ。


何も言わない。何も感じない。

だけど、彼らはしっかり、すべての存在と、情報伝達をしている。

私たちの、細胞の中のミトコンドリアとも、対話している。


はこべちゃんの前に座って、
無心でじーっと見てる時、花や葉の形に首をかしげている時、
調理しながら、その結果に、いちいち子どもみたいに驚く時、、、

私の中の、ミトコンドリアたちが、
彼らと対話しているんだ、ということを、このごろとっても感じるのです。


何故そう感じるかというと、

無条件で、シアワセを感じるからなんだよね~。歓びを。


それは、かつて感じていた、「感情的な」或いは「刺激的な」
幸福感や満足感とは全然違って、、、

何もなくても、すべてがそこに在る、というような、満足感です。

言葉にするとありきたりだけど、
空っぽなのに満たされている、充足感。

もわ~っと、深いところで拡がる、すべてと繋がっているようなところにある、
普遍的な、歓びです。

静かな静かな、歓び。


そういう感覚が、最近、少し感じられるようになりました。


旬を追って、誘われるままに外に出る。
季節をまるごと体験し、変化に気づき、
その時差し出されるものを、ありがたくいただく。

季節の花を愛で、その美しさにため息をつき、
散り行く姿に淋しさを感じ、、
また、新しい生命の息吹を見つけては、こころを調和させて。

ただ、そうして生きることが、
「自然」と、対話している、ってことなんだな、と思う。

意図しなくても、ミトコンドリアさんが、やっている。
そうやって、私たちは、「感情レベル」を、クリアしていくんだろう。

いつしか、言葉や文字や、時間や距離を越えて、
すべての意識を感じられるほど、軽々と、情報伝達できるんだろう、
と、直感的に、思えます。


この3次元では、この限られた「言葉」や「文字」でしか、
想いを顕したり伝えたりは出来ないけれど、
こうやって、内側にある「空間」を、外の「時間」に、ほどくことで、
あーそういうことなんだ、と、腑に落ちる。

わざわざ、言葉にすることもないんだろうけれど、
私も、「魔法使い」ならぬ、「ことば使い」なので、
どうしても、微細な感覚を、ここに、ほどくことになってしまう。

それもそれで、いいか。

外に顕れる、その「人となり」は、さまざまで、個性があり、
だからこその、生きる楽しみがあるのだけれど、
たぶん、この、「感覚の場所」は、ひとつ。

みんな、さまざまな「個」を生きながら、
その場所で、Reunionする日に、向かって
日々を過ごしているんだろうな、と想う。


「その場所」は、ひとりひとりにとっての、真ん中。中心軸。
本当の歓びの根源であり、本物の、「静けさ」の、場所。

「その場所」は、個の内側に、産まれ、
同時に、大きな全体の、真ん中にも、産まれる。


今、だんだんに、少しずつ、
「感情レベル」「肉体レベル」を体験しつくして、
そこに向かっていると感じている人たちに、
こころからの、エールを送りたい。送り合いたい。
意識せずとも、ミトちゃんたちがやっているだろうけど。



誰かに聞かれました。

『「感情レベル」を超えるって、どうすればいい??』


うーん。

感じきること。想い尽くすこと。
ヨロコビもカナシミも、シットもニクシミも。
そうやって、「感情」は外に出て行くのかな。

「感情」の入れ物は、人によって、違う。

入れ物の深い人は、深く濃く激しく、それは顕れて、
入れ物の浅いかも知れない人は、さほど苦労もなく、
そこそこの人は、そこそこに?

それは、良し悪しではなくて、個性だから。



徒然に書いてしまいました。
ここらへんでやめときます。



さんきゅー。



ssIMG_6542.jpg
「静けさ」は、こんな感じで。

満たされるでしょう~。無条件で。




また明日。
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