Archive [ 2011-10- ]
「生きている」ということは・・・
2011/10/12 23:07
ジャンル:
Category:想うこと
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【Edit】

※ちょっと過激な文になったかも・・・※
退職まであと3日。
施設で働く人の中に、同世代の人がいて
私を入れて3人、めずらしく同じ時間に仕事が終わったので
急遽お茶に行こうってことになり、2時間くらい、Girl's Talk。
(人生半世紀過ぎても、お喋りはGirlsの証し。)
施設で働くようになって、実は初めてのことです。
ここの人たちと、こんな話しで盛り上がれるなんて
思ってもみなかった。すごく楽しかった。
表面的なことや、人間っぽい話しには関心がないのだ。
「そうなんだ。」と思うだけ。
「今日の出来事」みたいなことも。「そうなのね。」と思うだけ。
でも、話したいことは山ほどあるの。
地球のこと、いのちのこと。こころのこと。真理のこと。。。
「どんな話し?」って、具体的にうまく言えないけど
「そんな話し」。
でも、フツウは、「そんな話し」は、突然出来るわけじゃない。
出来る人と出来ない人がいる。
それは、不思議とわかるものなんだよね。
初めて会った人でも、突然そんな話で盛り上がることも出来るし、
何十年付き合ってても、そんな話しを一切しない友だちもいる。
それはそれで、全然いいんだよ。誰とでも出来る話しじゃないから。
今日は、「そんな話し」がいっぱい出来て、嬉しかった。
特に同世代の人たちだからこそ。それだけで、嬉しいのです。
みんな、それぞれ、家庭の事情を抱え、
ヨロコビもカナシミも、それなりに乗り越えてきた世代。
少々の出来事ではビクともせず、
大地に根を張って、先頭に立って家を支えてきた、強い女たち。
尊敬するところがいっぱいある。
伊達に、半世紀生きてないよな~~~~、と思う。
年を重ねるって、本当にスゴイことだと思った!
今日、自分で話していても、つくづく本当にそうだ、と思ったこと。
自分への覚書のために、書いておこうと思う。
「生きる」ってどういうこと?どういう状態?
「心臓が、トクトクと、音を立てている」ということ?
「息をしてる」っていうこと?
心臓さえ動いて、息さえしていれば、生きていると言えるんだろうか。
たとえば、末期ガンで病院に入院している。
毎日、しっかり、看護されていて、「生きている」と言える?
決められた医師の巡回があり、バイタルチェックがあり、
配薬があり、さまざまに処置があり、食事があり、、、、
決まった時間に起こされて、決まった時間に寝かされる。
それでも、生きている。息をしている。心臓が動いている。
それだけで、家族は、
「あぁ。今日も生きている。よかった。」と、喜ぶのだろうか。
事実、本当に、それだけで、生きていると安堵している。
これって、本当におかしい、、、と思うのは私が変人だからかな。
いつか、何度か日記で書いたかも知れないけれど、
数年前に亡くなった義母は、まさにそうだった。
約2ヶ月間、兄弟姉妹嫁、交代で、病院に付き添った。
朝昼晩、ずっとそばについていた。
最後まで、病院で、みんなでお世話をして、看取った、、、
そんなふうに思ってる。
おばあちゃんは、みんなに愛されて逝った。幸せだった、、、
とか、本当にそう思ってたと思う。
でも、みんな、自分のエゴを満足させただけ。と思う。
「一日でも長く生きてほしい。」っていうのは、
本当に、その人に対する愛情なのだろうか?
おばあちゃんは、ずっとずっと、言ってた。
「家に帰りたい。家に帰りたい。」と。
私も、何度か
「こんなに帰りたいと言ってるんだから、連れて帰ってあげたらダメなのか」
と夫や兄姉妹にも言ったけど、
「そんなことして、もしものことがあったら大変や!」と、
みんなそればっかりだった。
そういうだけで、目に涙を溜めていた。
みんな、毎日毎日、おばあちゃんのことを想って泣いていた。
まるで、美談。愛し合ってる家族像。
確かにそれは嘘じゃない。本当に大切に思っていたかも知れない。
でも、本当は、おばあちゃんのこと、全然想ってなんかいない。
自分のことしか、想っていない。と、思った。
私は、おばあちゃんのことを想ったら、
「死んでもいいから、おばあちゃんの願いを叶えてあげたい」と思う。
(こんなこと言ったらとんでもなく非道に聞こえるのかな。)
たぶん、彼らにしたら、私のほうこそ、おばあちゃんのこと
全然想っていないんだ、って感じてたんだろうと思う。他人やしとか。)
結局、変わり者で、下っ端の嫁などが、主導権もなく、言えなかった。
でも、もし、自分なら、
ただただ、「死ぬ」ために、「その時」が来るまで、
家族の自己満足のために、病院に繋ぎとめられているなんて、ゴメンだ。
私なら、「その時」まで、しっかりと「生きて」いたい。
ただ、「死なないように」大事にされているだけで、
それで、「生きている」とは言えない。
病院で、「死ぬ日を待たされている」だけで、「生きて」はいない。
それならば、明日死んでもいいから、生きていたい。
そんな風に、自分は想っている・・・。
おばあちゃんと、、、たった一日でもいい、
家に帰らせてあげて、家族の手作りのご飯をみんなで囲んで、
孫やひ孫と一緒に、前の公園を散歩したりして、
バタバタと賑やかで騒がしい、家族の姿を見つめながら、
ケンカばかりしてたおじいちゃんにイライラしながら、、、
懐かしい家の匂いをかぎながら、
懐かしいご近所の物音を聞きながら、、、
それで、数日、生命が縮んだとしても、
その瞬間まで、幸せに「生きていた」と、思えただろうと、私は、思う。
施設にも、
これで本当に「生きている」と言えるんだろうか、、と
気の毒に思える人がいる。
ただ、「死なないように」、「生かされて」いるだけじゃないんだろうかと。
もっとこうしてあげたら、そうしてあげたら、、、
と、関係のない自分なんかが想うことも、
これもやっぱり、エゴなのかも知れないけど・・・。
そうか。。。
その人が、何をもって、満足とか幸せとかを感じるのか、は、
永遠に、その人本人にしかわからない。
言葉も持たず、意思表示も出来なければ、
その人の想いを、誰かが「汲む」ということしか出来ない。
たぶん、意識はしっかりしていて、表現が出来ないだけなら、
想いが伝わらないことが、歯がゆくてしかたなく、、、
そして、だんだん、それさえもあきらめて、
自分もいつしか、ただ「その時」を、待つだけに、
なってしまうのかも知れない。
そして、それで、いいのかも、、、知れないな。。。
「施設での生活」 という言葉をフツウによく使うけれど、
「生活」 生きて活かす。
いのちを活かしてこそ、生きることが、生活。
人は、死ぬために生きているんじゃなく、
いのちを、活かしていたい、って願ってるんだと思うんだよね。
そう。そんな風に、自分は、想っている。
ただ、そんな風に思ってる。
人に押し付けることは、出来ないね。
もし、私が死にそうになって、病院に「入れられ」て、
息子たちが、ただ生きててほしい、と、
ただ、命をつなぎとめるためなら何でもしてほしいと、
家に連れて帰るなんて、とんでもない!と、
泣いてそう願ったら、、、
そのために、自分を病院に閉じ込めたとしたら、、、
..........
まーーー。
それはそれでもいいか。
「死ぬ瞬間までしっかり活きていたいんじゃーー!」と、
怒鳴ったところで、それも、自分だけのエゴやもんなぁ。
病院にいて、それで息子たちが安堵するなら、
そうしたらええか。
なんて、ここまで書いといて、そう思ってる自分もいる。(笑)
おばあちゃんは、、、
もしかしたら、最後には、そこまで想っていたのかも、知れないな。
施設の人も。そうなのかも知れない。
ちょっと、オトナになったかも。
結局。
生命って、尊くて重い。
そして、自分にとっては、
なんか、どってことないものになってるかも。
だいたい、死んだって、死なないし。。。
ただ。
せっかく、選んで生まれてきたこの次元。この肉体。
その瞬間までは、しっかりと活きて生きよう。と思う。
充実した女子会トークから、ここまで思考が展開してしまいました。
皆さんは、どんなふうに思いますか?
いのち。
突然終わります。
最後まで読んでくれた人がいたら、アリガトウ。

※ちょっと過激な文になったかも・・・※
退職まであと3日。
施設で働く人の中に、同世代の人がいて
私を入れて3人、めずらしく同じ時間に仕事が終わったので
急遽お茶に行こうってことになり、2時間くらい、Girl's Talk。
(人生半世紀過ぎても、お喋りはGirlsの証し。)
施設で働くようになって、実は初めてのことです。
ここの人たちと、こんな話しで盛り上がれるなんて
思ってもみなかった。すごく楽しかった。
表面的なことや、人間っぽい話しには関心がないのだ。
「そうなんだ。」と思うだけ。
「今日の出来事」みたいなことも。「そうなのね。」と思うだけ。
でも、話したいことは山ほどあるの。
地球のこと、いのちのこと。こころのこと。真理のこと。。。
「どんな話し?」って、具体的にうまく言えないけど
「そんな話し」。
でも、フツウは、「そんな話し」は、突然出来るわけじゃない。
出来る人と出来ない人がいる。
それは、不思議とわかるものなんだよね。
初めて会った人でも、突然そんな話で盛り上がることも出来るし、
何十年付き合ってても、そんな話しを一切しない友だちもいる。
それはそれで、全然いいんだよ。誰とでも出来る話しじゃないから。
今日は、「そんな話し」がいっぱい出来て、嬉しかった。
特に同世代の人たちだからこそ。それだけで、嬉しいのです。
みんな、それぞれ、家庭の事情を抱え、
ヨロコビもカナシミも、それなりに乗り越えてきた世代。
少々の出来事ではビクともせず、
大地に根を張って、先頭に立って家を支えてきた、強い女たち。
尊敬するところがいっぱいある。
伊達に、半世紀生きてないよな~~~~、と思う。
年を重ねるって、本当にスゴイことだと思った!
今日、自分で話していても、つくづく本当にそうだ、と思ったこと。
自分への覚書のために、書いておこうと思う。
「生きる」ってどういうこと?どういう状態?
「心臓が、トクトクと、音を立てている」ということ?
「息をしてる」っていうこと?
心臓さえ動いて、息さえしていれば、生きていると言えるんだろうか。
たとえば、末期ガンで病院に入院している。
毎日、しっかり、看護されていて、「生きている」と言える?
決められた医師の巡回があり、バイタルチェックがあり、
配薬があり、さまざまに処置があり、食事があり、、、、
決まった時間に起こされて、決まった時間に寝かされる。
それでも、生きている。息をしている。心臓が動いている。
それだけで、家族は、
「あぁ。今日も生きている。よかった。」と、喜ぶのだろうか。
事実、本当に、それだけで、生きていると安堵している。
これって、本当におかしい、、、と思うのは私が変人だからかな。
いつか、何度か日記で書いたかも知れないけれど、
数年前に亡くなった義母は、まさにそうだった。
約2ヶ月間、兄弟姉妹嫁、交代で、病院に付き添った。
朝昼晩、ずっとそばについていた。
最後まで、病院で、みんなでお世話をして、看取った、、、
そんなふうに思ってる。
おばあちゃんは、みんなに愛されて逝った。幸せだった、、、
とか、本当にそう思ってたと思う。
でも、みんな、自分のエゴを満足させただけ。と思う。
「一日でも長く生きてほしい。」っていうのは、
本当に、その人に対する愛情なのだろうか?
おばあちゃんは、ずっとずっと、言ってた。
「家に帰りたい。家に帰りたい。」と。
私も、何度か
「こんなに帰りたいと言ってるんだから、連れて帰ってあげたらダメなのか」
と夫や兄姉妹にも言ったけど、
「そんなことして、もしものことがあったら大変や!」と、
みんなそればっかりだった。
そういうだけで、目に涙を溜めていた。
みんな、毎日毎日、おばあちゃんのことを想って泣いていた。
まるで、美談。愛し合ってる家族像。
確かにそれは嘘じゃない。本当に大切に思っていたかも知れない。
でも、本当は、おばあちゃんのこと、全然想ってなんかいない。
自分のことしか、想っていない。と、思った。
私は、おばあちゃんのことを想ったら、
「死んでもいいから、おばあちゃんの願いを叶えてあげたい」と思う。
(こんなこと言ったらとんでもなく非道に聞こえるのかな。)
たぶん、彼らにしたら、私のほうこそ、おばあちゃんのこと
全然想っていないんだ、って感じてたんだろうと思う。他人やしとか。)
結局、変わり者で、下っ端の嫁などが、主導権もなく、言えなかった。
でも、もし、自分なら、
ただただ、「死ぬ」ために、「その時」が来るまで、
家族の自己満足のために、病院に繋ぎとめられているなんて、ゴメンだ。
私なら、「その時」まで、しっかりと「生きて」いたい。
ただ、「死なないように」大事にされているだけで、
それで、「生きている」とは言えない。
病院で、「死ぬ日を待たされている」だけで、「生きて」はいない。
それならば、明日死んでもいいから、生きていたい。
そんな風に、自分は想っている・・・。
おばあちゃんと、、、たった一日でもいい、
家に帰らせてあげて、家族の手作りのご飯をみんなで囲んで、
孫やひ孫と一緒に、前の公園を散歩したりして、
バタバタと賑やかで騒がしい、家族の姿を見つめながら、
ケンカばかりしてたおじいちゃんにイライラしながら、、、
懐かしい家の匂いをかぎながら、
懐かしいご近所の物音を聞きながら、、、
それで、数日、生命が縮んだとしても、
その瞬間まで、幸せに「生きていた」と、思えただろうと、私は、思う。
施設にも、
これで本当に「生きている」と言えるんだろうか、、と
気の毒に思える人がいる。
ただ、「死なないように」、「生かされて」いるだけじゃないんだろうかと。
もっとこうしてあげたら、そうしてあげたら、、、
と、関係のない自分なんかが想うことも、
これもやっぱり、エゴなのかも知れないけど・・・。
そうか。。。
その人が、何をもって、満足とか幸せとかを感じるのか、は、
永遠に、その人本人にしかわからない。
言葉も持たず、意思表示も出来なければ、
その人の想いを、誰かが「汲む」ということしか出来ない。
たぶん、意識はしっかりしていて、表現が出来ないだけなら、
想いが伝わらないことが、歯がゆくてしかたなく、、、
そして、だんだん、それさえもあきらめて、
自分もいつしか、ただ「その時」を、待つだけに、
なってしまうのかも知れない。
そして、それで、いいのかも、、、知れないな。。。
「施設での生活」 という言葉をフツウによく使うけれど、
「生活」 生きて活かす。
いのちを活かしてこそ、生きることが、生活。
人は、死ぬために生きているんじゃなく、
いのちを、活かしていたい、って願ってるんだと思うんだよね。
そう。そんな風に、自分は、想っている。
ただ、そんな風に思ってる。
人に押し付けることは、出来ないね。
もし、私が死にそうになって、病院に「入れられ」て、
息子たちが、ただ生きててほしい、と、
ただ、命をつなぎとめるためなら何でもしてほしいと、
家に連れて帰るなんて、とんでもない!と、
泣いてそう願ったら、、、
そのために、自分を病院に閉じ込めたとしたら、、、
..........
まーーー。
それはそれでもいいか。
「死ぬ瞬間までしっかり活きていたいんじゃーー!」と、
怒鳴ったところで、それも、自分だけのエゴやもんなぁ。
病院にいて、それで息子たちが安堵するなら、
そうしたらええか。
なんて、ここまで書いといて、そう思ってる自分もいる。(笑)
おばあちゃんは、、、
もしかしたら、最後には、そこまで想っていたのかも、知れないな。
施設の人も。そうなのかも知れない。
ちょっと、オトナになったかも。
結局。
生命って、尊くて重い。
そして、自分にとっては、
なんか、どってことないものになってるかも。
だいたい、死んだって、死なないし。。。
ただ。
せっかく、選んで生まれてきたこの次元。この肉体。
その瞬間までは、しっかりと活きて生きよう。と思う。
充実した女子会トークから、ここまで思考が展開してしまいました。
皆さんは、どんなふうに思いますか?
いのち。
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