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Ats the way

「NGO千の雫プロジェクト」「大阪手作り酵素の会」「大阪源流『水の杜』」

失態を恐れずに

2010/10/24 22:45 ジャンル: Category:つぶやき
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次男夫妻の出産や、友人の死や、新しい出来事や、
秋になってから、めまぐるしく時間は流れるけれど、
施設のお仕事も、色んな意味でバタバタしてます。

このお仕事をするようになって1年半。
重いハンディを持つ人たちと身近に接することで
私の世界は、随分と拡がったな、、、と思います。

世の中で、マイノリティーと言われている人たちと
言葉や想いだけじゃなく、
実際にどう接すればいいか、ちょっと微妙に難しかったりする。

町で障がいを持つ人が困っていたりしたら
声をかけたいと思っても、ためらったりしているうちに
結局、何も出来ず、後悔したりとか。

色んな場面で、どう対応すればいいのか、迷ってしまったり。

無意識に、心無いことを言ってたりしないか、とかね。

余計な自意識が働いて動けなくなる。

それが、実際、毎日彼らと接するうちに、
だんだん、自意識がなくなって、
仕事以外で町に出て、障がいを持つ人を見かけても、
かなり普通に対応できるようになって。

もちろん、思いやりの気持ちとか
いつも、心がけないといけないモラルみたいなものはあって
まったくの「普通の対応」とは違うんだけど、
要は、その人が必要とするサポートを、惜しみなく提供する、
そんな感じかな。

余計な気遣いとか、逆に、遠巻きに見てしまうとかじゃなく、
自然に、困っている人を助ける感覚。

友だちに、障がいを持つ人がいると、
変な自意識過剰はなくなるよね。

障がいがあろうとなかろうと、
人は同じようなことで悩んだり嬉しかったりする。

同時に、それぞれに、傷を負い、痛みを感じてる。
社会で生きてゆくことの大変さは、計り知れないものがある。

普通に接していても、
そのことは、いつも心の隅に、忘れてはいけない、とか。


障がい者施設で働いている、というだけでも、
新しく出会う人(ハンディを持った)は、心を開いてくれるかも知れない。

そういう意味でも、世界が拡がったと感じます。

広い世界は、遠くにあるより、身近にあるほうがいいですね。


で、だんだん慣れてきて、そういう世界が日常になってくると、
やっぱりまた、新たに、省みないといけなくなる時があります。

思いやりや、モラルとかが、欠けてくる。
知らず知らずのうちに、傷つけていたり。

なんと言っても、こういう仕事って、
ひとつ間違えば、大きな権力にもなりかねない。のですよ。


最近、初心に戻って、
日々のお仕事のプライオリティーなど見直して、
利用者さんの想いや要望、自分の時間の取り方などを
あらためて、再構築しています。

システム。

システムは、そのものが良い悪いではなくって、
機能しなくなったら見直すということで、
状況は好転したり、進化したりするんだよね。

そのきっかけとして、
腹の立つことがあったり、逆に、泣かせてしまったり、、、

簡単に言えば、失敗とか失態。落ち込んだり、とか。

前に書いた、「怒り」は、八つのこころ、みたいな。

すべては、善きことに繋がるサイン、なんだと思えば、
失敗を恐れず、評価を恐れず、在るがままを素直に受け止める。

そんな「失態」をしでかす自分を認める。
認めて、初めて、改善される道も開けるというものです。


今日は、色々、そんな「改善グッズ」を買ったり、
システムを表にしたり、、、やってました。

なかなかに、まだ左脳も使えるようです。(笑)


すべては、善きことに繋がる。

日々起きることはすべて、メッセージですね。


おやすみなさーい。
明日から早出3連チャン。



歓びの歌

2010/10/22 22:45 ジャンル: Category:つぶやき
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昨日、友人のお通夜でした。

九州から駆けつけた友人を新大阪で拾って、
一番乗りで会場に着いたら、その次にやって来たのは
関空からタクシーを飛ばして来たという、
上海から、ここに来るためだけに帰国した友人でした。

彼は、お通夜のために、大阪に約2時間だけ滞在。
その日のうちに成田に行き、翌朝の一番機で、中国の出張先に移動、、、

あり得ないハードスケジュールです。

約半年ぶりに会う彼と、どちらも泣きながらハイタッチして、
私の口から出た大一声は、、、

「あんた、、あほやろ~~~;;」


彼らだけじゃなく、名古屋、東京、韓国、中国、、、
まさに世界中から人が駆けつけてた。

とても美しい顔で微笑む彼女の写真を正面にして、
彼女の生きた時間がどれほど豊かだったかが、
誰の目にもわかるようでした。

とても短い人生だったけど、
本当に、思い残すことのない、充実した人生だったと思う。


仲間に何ごとかあれば、こうして当たり前に集結してくる人たち。
いつも会ってるわけじゃないし
いつも話してるわけじゃない。

だけど、共に生きているって、深く思える人たち。
友というより、仲間。繋がっている仲間たち。

仲間、っていいな。本当に。

そして、今までは、
しょっちゅう会えなくても、いつもどこかで
元気で生きててくれればそれでいいって、そう思ってたけど、
いやー、「生きて」なくても、いい。って。
これからはそう思うことにします。

生きてても死んでても?いい。

繋がってる仲間であることには変わりない。
どうせ、いつかまた、みんな同じ場所で、会えるのだから。

ひと足先に、どっか別の次元に旅立っただけ。
いつでも会える。思い出す時はいつも、とても鮮明に。


そうそう。
彼女を含めた多くの仲間たちは、
年末恒例の、「一万人の第九」に参加しているチームでもある。
(私は、練習する根性がなくて出たことはないのですが^^)

会場の真ん中で、彼女の遺影は、華麗な笑顔でみんなを見てる。
しめっぽく悲しまれるより、
こんな時こそ、歌って踊って暴れてくれー!って言ってる。(^^)

遠く上海から帰って来た彼に、
せっかく来て、泣いただけで帰ったら怒られるで!と、
「第九」を歌うよう、「指令」を出した。

すっごい常識的な面も持つ彼は、きちんと、喪主である彼女のパパに相談。
娘より陽気なパパは、喜んで会場の人のところに走って相談。

弔問の人たちの列が落ち着いた頃、
彼女の亡骸の前に集合して、整列。
面白かったのは、この時、式場の女性が、
「はい、ここソプラノ、ここ、アルトね!」と、
まるでいつもやってるように、さっさか並べてくれたこと。不思議~~~。

誰かが、私に「かけ声」を掛けるように要請したので
(第九が歌えなくても、こんな時、仕切るのが私の仕事)


「Uちゃん!!!今からみんな歌うよ!一緒に歌って!」と遺影に声をかけ、


・・・・はい。そうです。

お通夜の会場で、「歓びの歌」を、歌ったのです。みんな。

常識もハズれてるけど、音程もハズれまくりの、、、だったけどね。(笑)


さすが私たちです。感動的でした。


・・・・


彼女の死は、悲しかった。みんな。

でも、今までと何も変わらない。
私たちは、会えなくても、いつも繋がっている、
仲間であることには、変わりないから。


パパが、そのうち、パーティーしよう、と言ってた。

娘のためのパーティー。
歌って踊って大暴れの、仮装パーティー。
悲しくて楽しいパーティー。


何度も言うけど、
人の死はとても悲しい。

だけど、何も、変わらない。

私たちは、どうしようもなく、繋がっているのだから。



神さま、今日もありがとう。

眠くて眠くて、そして眠いです。

おやすみなさい。


Uちゃん。ありがとう。
じゃ、またパーティーで。



夢のひとかけら

2010/10/20 22:00 ジャンル: Category:夢の話し
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photo1.jpg
夢のひとかけら
--------------------------------

友人の葬儀はあさってになりました。
明日のお通夜のために
遠く九州から帰って来るという仲間がいると思ったら、
もっと遠く、中国、上海に駐在中の仲間も帰ってくると。

友の死がきっかけで、多くの仲間が集まって、再会する。

仲間であることを思い出させてくれるんだよね。
仲間の大切さを、思い出させてくれる。

本当に、仲間って、いいです。永遠に繋がっていられる。
きっと、何かの時に、その繋がりが、大きな勇気をくれる。


---------------------


さてさて~。

私には、
いつでも何かあれば集結してくれるであろう仲間が、たくさんいる。
いえいえ。私でなくても、みんなそうだよね。

今まで生きてきた時間で、出会った人は皆、仲間。

最近になって、
遥か遠くで、キラキラと遠慮がちに光ってた、「夢の世界」が
ちらちらと、その姿を、顕し始めた気がしています。

無意識のうちに、キャッチする、そのサインが
1歩1歩、近づいてきているような。


どうしても、心が惹かれる場所とか。


遥か未来に描く夢があって、
その未来から、今の自分の内側に「発想」が産まれて、
その信号をキャッチした宇宙が、
そっと、日常に忍ばせて、見せてくれる映像。


まだ、ちらちらと瞬き始めたばかりだけど、
こうして記録することで、書きとめておくことで
サインを受け取ったと、宇宙に報告です。


---------------------


えっと、関係ないですけど、
最近、また地震のことが心配されてますよね。

私も、ひと月ほど前、地震の夢を見ました。
夢というより、わたし的には、「実際に揺れて」
目が覚めて、慌ててテレビを付けたけれど
何ごともなかったのか、何の報道もなかったんだけど。

だから、夢だったのだと言うしかないけど、
それはそれは、身体が布団(ベッド)の上で、
横すべりするほどの、大きな横揺れだったのですよ。

テレビ付けて、すぐ外に出よう、と思ったくらいです。

めっちゃリアルな夢でした。
(今、たまたまそのことを知人に書いて送ったメールを確認したら
 9月5日でした。)


でも、私は、日本の地震のことより、
中国の水害のほうが、心配。
またしても、大きな台風が中国に向かっているというし。。。

日本と中国は、絶対、対立なんてしちゃいけない。
繁栄の陰で、嘆き苦しみ、怒りを溜め込んでいる人たちに
想いを寄せていたいと想う。

台風は、日本に来なくても、
中国大陸や、朝鮮半島にも、よく上陸してる。

天気予報で知らせてくれる台風情報って、
日本から逸れたら、それで終わり。。。

いつも、「日本から逸れたらそれでいいのか?」って、
考えさせられてしまいます。

災害災害の連続で、
これ以上、中国の人たちの苦しみを大きくさせたくないね。
嘆きや怒りが、どんどん大きくなるようで気になります。

今すぐ何が出来るかわからないし、
本当の被害状況なんて、隠されているかも知れないけど
せめて、想いは寄せていたい。


世界のことは、日本のこと。
日本のことは、自分のこと。


1歩1歩。
夢に見たあの場所へ向かって。


今日は支離滅裂?
これも記録。

おやすみなさい。





花と咲き 花と散り 星と咲く

2010/10/19 20:17 ジャンル: Category:夢の話し
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168_03_b.jpg *画像お借りしました


夜勤明けの夕方近く、
そろそろ起きなきゃとぐずぐずしながら
久しぶりに、夢を見ていました。

白いシンプルな日本地図。
それぞれの地で、それぞれに咲く花があって
線で区切られた土地ごとに、順番に、
ひとつひとつ、色も形も違う花たちが、
ゆっくりと、その花びらを広げては、またゆっくりと閉じてゆく。

綺麗だなぁ~・・・とうっとり見ていた。

その花は、何とかという神さまの花で、
それぞれの土地に、特別な花を咲かせることが、その神さまのお仕事。

そんな役割の神さまと、そんな理のお花があるんだな~、と
こころが和らぐのを感じながらまどろんでいた。


・・・枕もとに置いた携帯が、突然鳴って目が覚めた。
ぼんやりした意識で、メールの文字を追う。

最後まで読まずとも、途中からハっと気づき、ドッと涙が溢れる。


友が、、、今朝、亡くなったという、知らせ。


発病から2年半。。。しばらく会っていないけど、
きっとすっかり良くなって、元気で頑張ってるって信じてた。

この秋から、急に悪化が進んだのだそう。


まだまだこれから華やかに生きて咲いててほしい人でした。

美人で、知的で、行動的で、歌が上手で、語学に長けていて、、、
みんなに愛された人でした。

強くて、そして、とても弱い人でした。


夢から目覚める直前に、見た、淡いクリーム色の花。。
ちょうど、彼女を連想させるような花でした。

すごく綺麗だった。


届いたメールをもう一度読んでてびっくりした。

亡くなった時間。。。


10月19日、午前9時9分、、、でした。


自分で自らの人生の花を、閉じたのかな。くくったのかな。

最後まで強がって彼女らしく。

美しく花と咲き花と散り、そして今度は夜空に咲く星になる・・・。


Uちゃん。

今どこにいますか?みんなが見えますか?

悲しいけれど、淋しいけれど、悔やまれることもあるけれど
私はやっぱり祈っています。

あなたの新しい旅立ちに、神さまの祝福がありますように、と。

いつかまた、みんなで再会出来る日を楽しみに。


今日の日はさようなら。
また会う日まで。







「有り難う」のことだま

2010/10/18 19:59 ジャンル: Category:つぶやき
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IMG_5831.jpg
*京都 八坂神社


昨日は、日記書いてて面白かった♪

最初に「書きたい」と思ったことから
すっかり軌道を逸れてしまうことってよくあるけど、
あんなふうに、書きながら発見(8見)していくことって
ひとりでPCの前で、テンション上がってしまいます。

言霊とか数霊とか、詳しい知識はほとんどないから
ネット検索したり程度の、自己満足な解釈だけど、
どんなちっぽけなことでも、自分なりの判断とか感性とか
それを大事に感じたり表現したりっていうのは
やっぱり、自己創造に繋がる気がしています。


「怒り」というものについての、常識はずれの解釈。

漢字や音、日本語独特の感覚とか、
常識を捨てて、ベールをはがすように探ってゆくと、
その漢字の裏に隠された(隠していないかも知れないけど)
真実の「ことだま」が、見えてくる気がする。

日本に生まれ育ち、
ネィティブとして日本語を操れる者だけにわかる、
微細な何か、知らずと伝わる「ことだま」ってあると思う。



ところで、思い出したこと。
もう20年近く前のことです。

奈良県吉野の山奥に、友人の知人がたったひとりで住んでいて、
とても風変わりで、仙人のような、暮らしをしている人がいました。

その友人に誘われて、
そこに、他の友人家族も含めた大人数で遊びに行ったんです。

もう、詳しい場所も何も、すっかり忘れてしまったけど、
山小屋のような、古い家に、その男性はひとりで住んでいました。

家の裏には水の綺麗な川が流れてて、
釣りが大好きな息子たちは、一日中、川で遊んでました。

初対面の人の家に大勢で押しかけた上、子どもたちははしゃぎまわるしで、
楽しいけど恐縮しまくりの時間が流れ、夜になりました。

子どもたちも寝てしまって、
その風変わりなおじさんを囲んで、ワイワイと楽しいおしゃべりをしていました。

私が、その日一日、「ありがとうございます」とか「すみません」とか
何度も何度も言うものだから、それに対しておじさんが言った言葉があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「ありがとう」っていう言葉は、そんなに簡単に使うもんじゃないよ。
 別に生命を救ってもらったわけじゃないんだし、
 人は、分かち合ったり支え合ったりは、当たり前のことだと思えば
 いちいち「ありがとう」「すみません」なんて必要ないさ。
 砂漠で一日中彷徨って、喉が渇いて死にそう~~って時に、
 目の前に人が現れて貴重な水を分けてもらった、、、
 そんな時に初めて、「ありがとう」という言葉を使うんだよ。

 「ありがとう」は、「有り難い」って漢字で、
 「滅多にない」ってことだから、滅多に使うこともないんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ありがとう」は滅多に使わなくていい、なんて、
そんなこと、初めて聞いたし、驚いた。

何でもかんでも、挨拶の大切さとか、感謝の心とか、
本当に、とっても大切なことなんだけど、
人間が本来の、人しての誠実さを、ちゃんと持ち合わせていれば、
ただただ、表面だけの、「ありがとう」なんて、薄っぺらに感じられるのかも。


人と人が、この地球の上で、
ただただ、自然の存在すべてに感謝して、生きて、
分かち合って、支え合って、愛し合って、過ごしていたら、
余計な「ありがとう」は、もっと減ってくるのかも。

というか、本当~~に、心からのありがとうの気持ちを、
大切にしなくちゃいけないってことかも知れない。

ありがとうの安売りは、いけませんね。


この宇宙のすべてに、心からの感謝を込めて。(だから~~~)

だけどやっぱり、ありがとう。



今夜は夜勤でーす。
夜中に働くのって、わりと好きです♪



プロフィール

 Ats(あっちゃん)

Author: Ats(あっちゃん)
新しい地球創り
NGO千の雫Project

酵素・発酵レシピ
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